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ROCKIN’ON JAPAN 小栁氏によるロングインタビュー掲載

Lanndoとして、ぬゆり自身が自らの在り方、そしてアルバム『ULTRAPANIC』を語った、ほとんど初めてのインタビューである。

「他者との出会い」を重ねながら紡ぎあげてきた全12曲。ここにあるのは、拭い難いやるせなさや、現代という時代のなかで感じる断絶、あるいは、それでも「繋がりたい」と願うかすかな希望だったりするが、ぬゆりが感じてきたこの無数の実感、その繊細な表現の根底には、すべて共通した問いかけがある。それは「この感覚は僕だけなのだろうか?」というシンプルで、本質的なものだ。

 ぬゆりはなぜ今、この実感にアルバムという形を与え、「他者」との共同作業のなかで描き出そうとしたのか。本人曰く、「音楽としての最高打点」を刻んだこのアルバムはなぜ、『ULTRAPANIC』と名付けられたのか。ぬゆりは、胸中をじっくりと語ってくれた。リアルなテキストになっているので、ぜひアルバムとともに触れてもらえると嬉しいです。(小栁大輔/ROCKIN’ON JAPAN)

●本当に素晴らしい作品だと思います。僕にはすごくピュアなメロディーが詰まったアルバムであると感じられるんだけども、この作品が生まれてきた経緯をじっくりと訊かせてもらえればと思います。まず、ぬゆりくんは2012年からボカロPとして活動してきて、2019年から、Lanndoという名義でソロプロジェクトを続けてきたわけですが。ふたつの名義を使い分けながら、並行した活動を行ってきた経緯について訊かせてください。
「ボカロPをずっと続けてきて感じていたのは、限界じゃないんですけど、どうしてもやっぱり肉声じゃないと表現できないものがあるなということで。そこで、『誰かと一緒に作品を作りたい』っていう大まかなコンセプトが生まれてきて。ボカロだと自分ひとりで打ち込んで、限界まで可能性を探るんですけど、誰かの力を借りて作品をもう一段階アップグレードさせていく喜びを知りたかったんです。歌に限らず、楽器演奏、エンジニアリングも信頼できる仲間にお願いしたり。その流れでボーカルもやってほしいって一緒にお願いするような感じです。自分でも歌ってきてもいまして」

●ボカロPとしては自分の好きなメロディを好きなように歌わせることができるという満足感も当然あったと思うんだけども。ところが、このままいくと、例えば飽きてしまったり、つまらなく感じられてしまったりという漠然とした不安や危機感があったのかな。
「作品を作ることに関して、方法が画一化されてきすぎちゃって。刺激が足りないというか、新しい引き出しが増えたらもっと楽しいんだろうなっていう気持ちがあって。それもきっかけです。2019年の時点でもう7、8年くらい活動していて。もちろん楽しいし、続けていくんですけど、憧れじゃないんですけど、ミュージシャンの方って当たり前にいろんな方に楽器演奏を頼んだり、頼まれたり、歌ってもらったりしているよなあと。でも僕は、その喜びを知らずに――というか、制作現場もこともよくわからないまま過ごしてきていて。ちょっとここらで1回やってみようかなと。そういう経緯で始めたんですね」

●だけど、リアルな肉体性を持った表現に踏み込むというのは、勇気の要ったことだよね。
「そうですね。最初の頃は、長くやってるわりに本当に何も知らなくて、あれもこれも新しいというか。そもそも常識が何かも知らないし、スタジオでどうするのかも、ディレクションの仕方も全然わからない状態で。そこで学んでいくというか。新しい刺激とはまた違うかもしれないですけど、単純に常識を学んできたなっていう感じがあります」

●Lanndoとして、今回ファーストアルバムが完成したわけですが、その手前にあった変化として、ぬゆりくんが自分自身で歌うことにした、そこに踏み込んでみたというのは大きな変化だったと思うんですよ。自分自身の肉声を、ある種晒しながら表現をしていこう、それで勝負することにした背景にはどういう決心があったんだろう。
「ちょうどその頃に、米津(玄師)さんにお会いしてお話させていただく機会があって。そこで、やっぱり自分で歌うことこそが、表現して伝えるということにおいて、一番説得力がある方法なんだとすごく感じて。それを教えていただいて。じゃあ、駄目でもいいから、とりあえず始めてみようと。外から見るにしても自分が歌った方が何を言おうとしているかがよくわかるというか。やっぱり説得力が生まれる。ただ、どうしても自分の声が好きになれなくて。新しいアルバムでも2曲歌ってるんですけど、苦しいと思いながらずっとやっていて。方法としてはすごく正しいことなんだけど、どうしても気持ちとして受け入れがたいところもあって。今も相反するところと戦ってます。どうしていいやらっていう悩みです」

●お会いして15分でこんなことを言うのもおかしいですが、それでも歌った方がいいと思います。届くと思います。“ロウワー”という曲があって、この曲はそもそもはボカロ曲として発表されているんだけども、今回は生身の歌唱によって再度レコーディングされていて。で、歌はぬゆりくん自身が歌っているという。ただ、この曲は元々いつか自分で歌うつもりで作ってたんじゃないのかなと思うぐらい説得力があって。
「その予定は全然なかったんですけどね。そもそもはゲームへの書き下ろし曲で、気持ちを込めて書けた感覚があって。歌詞を見てもすごくうまくできたかもって思うぐらい、よく書けたなって思う。アルバムに関して言うと、他の曲はまったく新しい曲ばっかりで。まだ何も手がついてないような状態で考えていくことになるんですけど、そうすると、この人の方がうまく表現してくれるだろうなってオファーさせていただいたりすることが多くて。でも、“ロウワー”に関しては一旦自分の曲として発表したものだったし、だったら誰かが歌うのは考えにくいなと。じゃあ自分でやるしかないかって、半ば追い詰められて」

●歌うなら、やっぱりこの曲だよね。
「そうですね。完成して、やっぱりこれでよかったと思いました」

●他の楽曲は、それぞれの曲のボーカリストへの当て書き的な要素もあるんですか?
「宇宙の季節に関しては当て書きでしたね。他の楽曲については出来上がった段階で、これはこの人に頼みたいって考えます」

●となると、曲を作るときはボカロを使うのかもしれないけども、そのうえで、ぬゆりくんの脳内で、それぞれの曲はどういう声で再生されるんだろう。

「今回は本当にメロディを突き詰めようと思ってたんです。だから、誰の声も想像せずにただただいいメロディを書きたかった。結果としては、自分が想像してた、この人だったらこういう仕上がりになるかなっていう形を本当にどの曲も全部超えてくれて」

●うん。今とても重要なことを言ってくれて。「メロディを追求したかった」と。ざっくり訊くけども、なぜ今メロディをあらためて追及しようと思ったの?

「今の現状の自分はここだよと。今できる最高を追求したくて、ソングライティングでも今の自分の一番のクオリティが出す。一番いい編曲で一番いいメロディを追求する。このアルバムは、長く制作してきたんですけど、なんとか一番いいものを、という気持ちでやりました。アルバムを作ろうと思ったときは、もっとすごい大きいテーマで、ひとつのテーマに対して物語みたいなアルバムを作りたいと思ってたんです。ただ、体調を崩しちゃったりとか、コロナ禍だったりいろいろあったし、もっと内面的なアルバムにしたいなと思うようになって。自分を表現するアルバムにしようってすごく思った。なので、自分の知らない何かを表現するより、もっと自分だけのアルバム、ここが自分が今いる地点だよっていうことを表現したくて。その目標に対して、今できることをしようっていう気持ちで作ってました」

●僕の発想だと、自分に向き合うという前提で考えると、「自分を刻みながら、歌詞に向き合いました」という言葉が出てきてもいいんじゃないかなと思ったんだけど、ぬゆりくんの場合は、自分に向き合うというのはつまり、メロディなんだ、っていう。面白い発言だなと思ったんです。そう言われると、本人としてどうですか?

「確かにそうですよね。自分の最高打点を出したいと思っただけなんですけど、言い方が変になっちゃいますけど、歌詞って、力を入れようと思ってもあまりできないんですよね。歌詞に関しては自分の中では暴れ馬というか……出てきたものをそのまま受け入れるしかない。どれだけ力を入れても、力を入れてないときの方がいいものが書けちゃったりする。だから、1回置いておいて、クオリティの打点を一番高くしたいっていうのがあって。自分の歌に自信がないっていうこととも繋がるんですけど、最高の歌い手の方に歌っていただいて、演奏についても最高の方に演奏していただいて、本当に一番かっこいい形でパッケージングされたものをリリースしたいっていうのがありました」

●なるほど。アルバムを聴いていると、ぬゆりというアーティストは、メロディが持っている音楽的なグループにはまる言葉であれば、許容していける人なんだなと。要するにメロディにはあらかじめ言葉がインプットされていて、それをちゃんと拾っていくというか。そういう音楽的な歌詞の書き方がすごく上手だと思うし、そういうセンスを自分の中にどこかで感じていた部分があったんじゃないかなと思う。

「言葉のリズムは昔から好き、というか大事にしていて。たしかに、それ優先で書いちゃうことが多かったですね。歌詞の意味を追求していくにしても――書いていくにつれて転がっていってしまうことが多くて、言おうとしたことが逆になっちゃったりするんじゃないか、みたいな不安もあって。何とか自分の制御できる方向に持っていこうと考えながら歌詞を書いていったので、すごく時間がかかりましたね」

●リズムのある言葉を紡いでいる一方で、今回は、自分のなかに潜って、一生懸命見つけてきた言葉たち、という印象も色濃くあって。まず、最高打点のメロディがあり、そこに自分の言いたいこと、自分の中にあるものを変換して、言葉にして載せていくという作業を誠実にやっているという。一言で言っちゃうと、ものすごい意味がわかるよね。それはすごくいいことだと思うし、今回のアルバムでやろうとしたことのひとつなんじゃないかな。

「このアルバムは、3年前ぐらいからちょっとずつ作ってきているので、その時思っていたことみたいな。当時こういう気持ちだったんだなとか、その時その時の自分を出力したっていう感じがしていて。何て言うかな、自分をそのまま書いたのかなって。自分がちゃんと書けたのかもしれないですね。その時々によって攻撃的だったりするんですけど、それでも今は丸くなったぜとは全然思わない。その当時の攻撃性は表面に出てたし、今は隠れてるけど、今も思うことだし、納得できるなって自分で書いたことに対して思いました。言っていることが一貫していて。自分がやってきたことは間違いじゃなかったなっていう」

●いちばん古い曲はどれなんだろう。

「ああ、古いのはどれだろう。多分、“トーキョーハウンド”と“さいはて”ですかね」

●逆に一番新しいのは?

「“冬海”か、“仇なす光”も新しいかな」

●そう言われるとね、ああ、そうなんだろうなあと思うんですよ。というのも、たとえば、“トーキョーハウンド”は一人称的な曲じゃないんだよね。情景描写というかね。このアルバムの制作はおそらく、そういう地点からスタートしてるんだよね。でもどんどん一人称が増えていく。歌うべきことがどんどん狭まっていっていくというかね。

「ああ、全然気づかなかった。言われてみるとそんな感じがします。昔はもっと大きいものを表現しようと思っていて。世界の全体というか、世界ってこうだよね、みたいなことをすごく言いたかったんだと思うんです。それが確かにすごく狭まって、段々『自分』になっていった感じはすごくします」

●そういう観点で考えて、アルバムを作ってきた3年間、自分への向き合いはどうだった?

「昔はもっと大きな何かを出さないといけないという意味でジタバタしてたんですけども。最近はやっぱり自分が一番というか。自分の好きな事ができないとダメだよなって思っちゃって。それで歌詞的にも『自分が』ってなっているんだと思うし、音楽性に関しても縛られずに、昔の自分の作風とか流行的な工夫もあまり考えずに自分の創作ができるようになってきたと思います」

●メロディにしてもある種の歌謡性というかセンチメンタリズムというか、J-POPらしさと言ってもいいかもしれないけれども、そういったピュアなメロディへの信頼感もすごく感じるけどね。

「そうかもしれない。鼻歌から作ることが多いんですけど。そこで出てきたものをMIDIで調整するんですけど、今回のアルバムに関してはあまりそういうことをしなかったと思う。自分から出てきたメロディに対して手つかずのまま出すっていう。いろいろ手直しして出すより、自分の中にあるものを突き詰めて、いいものが出るまでひたすら出し続けるみたいな。そういう作業をずっと繰り返していた気がします」

●というところで、冒頭のテーマに戻るんですけども、ボカロP・ぬゆりが、Lanndoとして他者と一緒に作っていく。それはある意味、不自由さを引き受けながら、でも人と一緒に何かを作る必然を見出していく作業だったんだと思うんだよね。プリミティブな欲求として、やはり誰かと出会いたいし、誰かに歌ってほしい、あるいは、歌ってもらうことで伝わる新しい繋がり方があるんじゃないか。そういった希望のようなものが、ぬゆりくんの中に、拭いがたくあったんじゃないかなと。

「確かにそうです。同じ曲を自分が歌ったとして、どうしても技術的に表現できないことがあって。自分が追いつかない。今回、みなさんに頼んだことによって、さらに見えるものがありました。この人の歌声だと、すごく力強い印象が生まれる。でも、自分だとどうしても力強いという印象はつけられないなっていう。もちろん技術的なこともありつつ、その人のバックグラウンドがあるし、その力に頼るしかないっていうのがありました。ですし、この人に歌ってもらった方がもっと単純にいい曲にしてもらえるんじゃないかっていう」

●Lanndoとして最高打点を作るんだという思いでアルバムを作っていったら、歌い手としての自分よりもだいぶ先にあるものが生まれてしまったという。

「自分で歌うにしても、ボカロに歌わせるにしても、どうしても制約があって。今回はそこが違っていて、『この人なら絶対に表現してくれるだろう』っていうことが、約束された状態のお声がけでしたし、それは今までの制作では味わったことがない感覚で。曲が、ちゃんと行くべきところまで上っていってくれたなって。頼む段階で安心感も信頼ももちろんありますけど、どの曲も聴いていて、やっぱり頼んでよかった、行ってほしいところまでちゃんと連れていってくれたと思いました。月並みなんですけど、やっぱり自分ひとりじゃどうにもならなかったなって。完成してすごく思います。逆に自分ひとりで頑張って作ろうとしていたらすごい怖いことだったなと。想像の話ですけど、やっぱり自分ひとりにこだわって作ってたらクオリティももちろん、自分が思うところまでいけなかったと思うんですよね。そこで意固地にならなくてよかったなっていう、今になって安心してるんですよね」

●うん。だけど、やっぱり、ぬゆりという人固有の作家性はあるなと思うんですよ。世界をわかりたい、人間をわかりたい、自分という人間をわかってほしい、人はつながれると信じたい――そういう希望を強く書こうとしていると思うし。でも、人と人は繋がれるようなんて、そんな無責任なことは言えないし、信じたいけれど、信じられないかもしれない。でも、信じたいと思っていることははっきり書きます、みたいなね、そういったせめぎ合いが刻まれていると思うんですよね。

「そうですね。信じたいという気持ちはあって……ただ、なんていうか、自分と他の世界には断絶があると思っていて。みんなはどうかわからないけど、自分に関しては断絶があると思っていて。それは、音楽とかも関係なく、普段から思っていることで。ただ、それでもわかり合う楽しさみたいなものもすごく理解できて。この楽しさがずっとあったらいいのになと思いつつ、でもやっぱり、そんな理想的なことはないから。恋焦がれてる感じが常にあって、それがずっと曲として書きたいことなのかもしれない。これまでひとりでボカロで制作してたけど、繋がりがほしくて、誰かと一緒に作品を作ったっていう経験がほしくて。それでLanndoとして、いろんな方にボーカルも演奏もミックス頼むようになって。そういう背景もあったかもしれない。これまでだって、人との繋がりがないわけじゃないですし、楽しく話したり、楽しく仕事したりできるんですけど。だとしてもなにか、苦痛になることもあるというか……『自分はそれを求めない』って思ったら一瞬でなくせてしまうものばっかりだなって思うことがあって。求めない、なんてことは絶対にないんですけど、ただ、それって確実じゃなさすぎて、すごくあやふやなものに感じてしまうことがあって。もっと確かなものであってほしいのになっていう気持ちがずっとあって。『もっとこうだったらいいのに』みたいな八つ当たりに近い気持ちがあって、世界に文句を言うような感じで歌詞を書いてるのかもしれないですね」

●なるほど。だから、ぬゆりくんは「僕」という言葉よりも、「僕ら」とか「僕たち」という言葉を使うのかもしれないね。

「確かに……。うん、そうですね。一人称を結構使うんですけど、何かどうしても抵抗があって。これって自分だけの話なの?みたいな。自分だけがこうなのかな、って思っちゃうことがあって。他の誰かと、もっと同じ考えに至りたいと思うところがあって。自分だけじゃないよね?って、照れ隠しじゃないけど、自分の思っていることを直接表現するのはやっぱりちょっと怖いなっていうのがあるかもしれないです。等身大の自分を書いたぜっていう気持ちがあったんですけど、まだ濁してる部分が自分の中であるんだと思いますね」

●で、もうひとつ、面白いなのは曲のタイトルなんですよ。

「ああ」

●もっと、もっと、ダイレクトにタイトルをつけてもいいと思うんですよ。「負けないで」というメッセージを伝える曲だったら、「負けないで」というサビから始まてもいいし、「負けないで」というタイトルをつけてもいいわけじゃないですか。ぬゆりくんはそういうタイトルの付け方をしない。

「しないですね、確かに」

●ほとんどの曲において、タイトルを歌詞として登場させないよね。

「なんか裏テーマみたいなものをタイトルにしたいんですよね。歌詞に書いてないもっと奥にあることを言いたかった、みたいな。比喩もよく使うんですけど。その裏のテーマを隠して、別の言葉で言い換えたものをタイトルにすることが多いのかもしれないですね。隠したいけど、でもちょっと言いたいぐらいの感じで、さらに踏み込んでみればこういうことが言いたかったんだよっていうものを隠しつつ、タイトルにしてるような感じがします。タイトルにしたら本当にそういう曲になっちゃうので、可能性をもっと広げたいというのもありますね。『こうだよね』って、なんか雑談みたいな感じで、『僕はこう思ってるんですよね』って伝えたい。何か言えるとしたらそれぐらいで、あとはあなたにおまかせします、みたいな気持ちの方が強いです」

●アルバムタイトルもまた特殊で。『ULTRAPANIC』。これはどこから来たんですか?

「あんまり深い意味はないんです。前にインストアルバムを作ったことがあって。『Control You』っていうアルバムなんですけど、最初はそのタイトルにしようって思ってたんです。でも、作っていくにつれて、なんか違うなっていう気持ちになってきて、さっきもお話したとおり、もっと自分の内面に迫ろうみたいな気持ちになって。そこで、自分って何だろう?って考えたときに出てきたのが、『ULTRAPANIC』だったんですよね。落ち着いてないというか、わからないことばっかりでなんか悲しいしつらいし、どうしたらいいんだろう?っていう状態がずっと連続している感覚があって。で、これはパニックだなと思って。それで、このタイトルにしましたね」

●このアルバムを作っている期間を、あえて説明するならば、それはすごく「ウルトラパニック」な日々だったんだね。

「慌ただしいという意味じゃないんですけど、なんか散らかっていて忙しい日々という感じで。今日はすごくテンションが高かったし、すごく楽しい日だったけど、次の日は全然落ち込んだ、みたいな上がり下がりがすごくあって。これって何だろう?って考えたときに、もしかしたらすごく広い意味でいったら、『パニック』かもなと思いましたね」

●でもそう考えたら、自分だけじゃなくて、みんなウルトラパニックな日々を過ごしてるでしょ?っていう。

「本当に俯瞰して見て、自分だけの1日じゃなくて、大きく眺めた何年かの単位で見てみたら、なんだかぐちゃぐちゃなんじゃなかなっていう」

●そういった現実観もそうだし、そのなかで自分はなにを歌うのか?という観点においても実に誠実な、そしてもちろん音楽作品としてのクオリティも含めて素晴らしいアルバムだよね。3年後と言わずまたすぐに作ってほしいです。

「頑張ります。活力がすごく足りてない人間なので(笑)、本当にやりたいと思えるまで動き出せないというか、じゃないと、どこか消化不良なものになっちゃうなっていうのがすごくあって。もうちょっと頑張れって感じなんですけどね」